月曜の夜、一人で動画を見る理由

公開日: 2026-08-30

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月曜の夜、時計はまだ八時を回ったばかりなのに、体のほうは日付が変わったあとみたいに重い。玄関で靴を脱ぐのに、なぜか少し気合がいる。上着をソファの背もたれに引っかけて、そのまま隣に沈み込む。テレビもつけずに天井を見ていると、部屋の暖房の音だけが、やけにはっきり聞こえてくる。

やることは特にない。ないのに、何かした気にもなれない。手を伸ばして画面を開くまでに、たっぷり十分くらいかかった。動画を見て過ごすことに決めた、というより、それ以外の選択肢が今日はどれも重すぎた、という感じだ。

月曜の夜は「越えた」だけで「終わって」はいない

金曜の夜には、これから何かが始まる軽さがある。日曜の夜には、以前書いたとおり、週末が終わっていく寂しさが混じる。あの日曜のうっすらした憂鬱を、月曜の朝はとりあえず力ずくで越える。会議に出て、メールを返して、昼を挟んでまた会議に出て、気づけば外が暗い。

そうやって夜になっても、月曜には解放感がない。越えたのは事実だけれど、終わってはいないからだ。頭のどこかで「まだ四日ある」という声が、小さく鳴り続けている。かといって「一日ぶんは進んだ」というのも本当で、その二つのあいだのどこかに座っている。達成感というほど胸は張れないし、解放というほど軽くもない。

この中途半端さが、月曜の夜の正体だと思う。金曜の一人で動画を見る夜が「ご褒美」だとすれば、月曜のそれは「気休め」に近い。でも、ご褒美と気休めのちょうど中間くらいの温度のものが、たぶん人間には毎週必要だ。

何かを始める気力は残っていない、という正直な話

こういう夜、世の中には親切な声がたくさんある。月曜こそ早く寝て一週間の調子を整えよう、とか。週明けの夜に軽く運動しておくと火曜が楽になる、とか。どれも正しいのだと思う。実際、うまくやれた週は火曜の朝が少し軽い。

ただ、正しさと、今夜それができるかどうかは、別の話だ。月曜の夜のわたしには、新しいことを始めるためのエネルギーがもう残っていない。ヨガマットを広げる気力があるなら、そもそもこんなにソファに沈んでいない。

だから、その日は無理をしないことにしている。疲れている日に「本当は運動すべきなのに」と自分を責めながら過ごすくらいなら、責めるのをやめて画面を見るほうがいい。翌週の月曜、少し元気があれば、そのときマットを広げればいい。毎週きちんとやれる前提で自分を設計すると、たいてい破綻する。

沙耶(このコラムを書いたライター)

選ぶ手間を省くという小さな工夫

とはいえ、疲れた夜にいちばん厄介なのが「何を見るか」を決める作業だったりする。一覧をスクロールしては戻り、あらすじを読んでは閉じ、そうしているうちに三十分が溶ける。見る前に疲れる、という本末転倒がよく起きる。

そういう夜は、自分で一から選ぶのをやめてしまう。その週によく見られていたものを上から順に眺める、くらいの受け身でちょうどいい。週間のランキングみたいなものを流し見して、目に留まったものをそのまま開く。選ぶ工程を人任せにすると、そのぶん、ただ座って見る時間に早くたどり着ける。

月曜の夜に関しては、選択肢が多いことは、あまりありがたくない。

月曜の夜の小さな区切り方

盛り上げる夜ではないので、区切りも小さくていい。先にいくつか決めておくと、だらだらと日付をまたぐのを少しだけ防げる、という程度のものだ。

場面 小さくやること
帰ってすぐ 明日着る服だけ、椅子の上に出しておく
見はじめる前 メインの照明を落として、平日の夜の輪郭をつくる
一本見終えたら 「次の一本」に進む前に一度立って水を飲む
寝る前 日付が変わる前に画面を消す、とだけ決めておく

どれも大したことはしていない。それでも、なんとなく夜を流すのと、小さな区切りをひとつ持っておくのとでは、火曜の朝の自分の機嫌が地味に違う気がしている。

火曜以降の自分に少しだけ楽をさせる

月曜の夜をちゃんと畳めた週は、火曜が軽い。服が出してあるだけで朝の判断がひとつ減るし、日付が変わる前に寝られれば、水曜まで持ち越す寝不足の芽をひとつ摘める。

逆に、区切りをつけそこねて夜中まで画面を見ていた週は、火曜も水曜もその重さを引きずる。月曜の夜の三十分は、その週の残り全部にうっすら効いてくる。ご褒美でも気休めでもいいけれど、翌日の自分に迷惑をかけない範囲で、というのだけは守るようにしている。

守れない週も、まあ、ある。

よくある質問

月曜の夜がしんどいのは、自分だけですか? そうは思わない。一週間で一番長い一日を越えたばかりで、まだ折り返してもいない。多くの人が同じように、達成感とも解放感ともつかない中途半端な夜を過ごしているはずで、ただ口に出す機会がないだけだと思う。

月曜の夜こそ、もっと有意義に使うべきでしょうか? 決めつける話ではない。有意義に使える体力が残っている週はそうすればいいし、残っていない週は静かに過ごしていい。疲れている日に無理をして翌日に響かせるより、そのほうが一週間の合計では得なことも多い。

動画を見る以外に、何かしたほうがいいですか? 特にそうは思わない。早く寝るのでも、湯船に長く浸かるのでもいい。ここで書いているのは、月曜の夜に一人で動画を見て過ごす自分を、後ろめたく思わなくていい、ということだけだ。

まとめ

月曜の夜は、一番長かった一日をとりあえず越えただけで、まだ終わってはいない。「まだ四日ある」と「一日ぶんは進んだ」のあいだで、達成感でも解放でもない中途半端な位置に座っている。そういう夜に、ご褒美と気休めの中間くらいの温度で動画を見て過ごすのは、消極的な選択にも見えるし、疲れた自分にちゃんと合わせた選択にも見える。小さな区切りをひとつ持っておくと、火曜以降が少し軽くなる、という感覚だけは実感として残っている。ほかの読み物はエッセイ一覧に置いてあるので、よければ次の月曜の夜にでも覗いてみてほしい。わたしのことはこちらに少しだけ。

本コラムは脚色を含みます。

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沙耶

沙耶読み物(エッセイ・コラム)

エッセイスト。夜にまつわる話を書く。商品の話はしない。

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